先程、この歌には4番まできちんと作られているという話をしましたね。
その3番目の歌詞には、右大臣のこんな様子が歌われています。
「少し白酒召されたか 赤いお顔の右大臣」この詩をそのまま解釈すると、お祭りに浮かれて白酒を飲み、ほろ酔い加減の右大臣を歌ったものだというように、誰もがお感じになると思われます。
ですが、この歌詞にもちょっとした話があり、先述のサトウハチローさんは、ラジオからこの曲が流れてくると、いつも機嫌が悪くなったらしいのです。
「うれしいひな祭り」を多くの人々に聞いてもらえ、逆に嬉しく思うはずなのに、どうして機嫌が悪くなったのかは「赤いお顔の右大臣」のくだりにあったそうなのですが、
雛壇に飾られている右大臣の顔は白く、実際は白酒を飲んでいる左大臣の顔の方が赤いので、間違っている歌詞にとても納得がいかなかったという理由からだという事です。
私からすれば、普通にさらっと聞いてしまえばどうって事ない、そんな気がするのですが、歌詞に自分の気持ちを乗せた本人としては小さなミスとはいえ許せなかったんでしょうね。
続いて、4番の歌詞に移りますが、何とここでもまた歌詞の解釈の問題が出てきます。
「着物をきかえて帯しめて 今日は私も晴れ姿」のくだりなのですが、
この「私」というのは一体誰?というところの解釈についての論議があるというのです。
素直にこの歌詞を直訳するなら、他の登場人物とは一線を引き、あくまでも「私」という個人が、ひな祭りをお祝いするのだという解釈でいいと思います。
ですが、2番でお姉様のことを歌われている流れから、お姉さまの存在によって、この「私」とする本人を一体どういう位置で解釈すべきか意見が分かれるというのです。
しかし、私なりにサトウハチローさんのお話からお気持ちを量るとするならば、この歌は、実はお姉様との思い出を忘れないために、女の子の健康と幸せを願うという「ひな祭り」をテーマにして、ハチローさんご本人を自ら妹に見立てた上で主人公とし、作詞されたのではないかと言う風に思えてなりません。
そして、作り手である限り、個人的な思いや感情は別に、優しかった「女性」として、お姉さんの部分を残しながらも、全ての「女性」を敬う歌にしたかったのだと思います。
これが、この論議の結論だと決して言えませんが、確実にわかっているのは、現にこの歌は浸透し、多くの方に歌い継がれてきた事実があるという事です。
人それぞれの解釈はあるでしょうが、いつまでも童心の気持ちで歌っていきたいですね。
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