さて、先ほど少し触れましたが、当時の人達にとって人形には「飾り物」以外に、違った意味も込められていたようです。
多分に神がかった話ではありますが、それは厄や疫病などの災難を人形に移し、身代わりに立てるということです。
ひな祭りと少し趣は違いますが、現在でも日本各地の神社で紙製の人形に自分の名前・年齢を書いてなでたり、息を吹きかけることで、自分の厄や病気、災難などを人形に移して、焚き上げをしたり川や海へと流したりする風習がありますね。
昔、この体中をなでた人形の変形として作られたものに天児(あまがつ)や婢女(ほうこ)という物があり、見た目は雛人形に似た、その天児の方は天皇様のお子様方に、婢女の方は普通のお家で使われていたといわれています。
その人形に、赤児の災いを背負ってもらえると昔の人は考えていた訳ですね。
見方によっては天児が男雛に、婢女が女雛になったとも言えるかもしれません。
話はすこし変わりますが、人形に託す思いがいかに大きな意味合いを持っていたかという側面とは別に、当時の武家や上流階級の人達の人形に対するこだわりを伺い知る出来事も伝え残されています。
初期には、内裏雛一対にお供えをして飾るというのがポピュラーだったのですが、地位の高さや、財の豊富さを誇示せんとばかり、次第に人形や飾りの質を争うようになっていきます。
江戸時代になると、製作技術の向上と相まって段飾りや三人官女など、いわゆる付属の雛道具が作られるようになり、その細工に拍車がかかったといわれ、
大名の婚礼には、婚礼調度と同じ雛道具を揃え、女子が生まれると、すぐに雛道具の準備に取りかかったほどで、
中には、等身大の雛人形を作成したりと、ほぼ考えられる範囲での贅は尽くされたのではないかといわれるほどの過熱、競争ぶりだったそうです。
あまりの豪華さ、華美さの競い合いに幕府が禁令を出した、とさえ言い伝えられています。
これがきっかけであったのかどうか、明治新政府は従来の節句行事を廃止し、一時は、ひな祭りが行われない時期があったようなのですが、
人々の生活に長く親しまれた行事は忘れ去られることなく、やがて復活したということです。
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